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いまから60年以上前、日本は戦争をしていました。戦争が始まった年に生まれた赤ちゃんも、戦争が終わったときには、いまの中学2年生になっていました。
これだけの長い間、いろいろなできごとがありました。たくさんの人が亡(な)くなりケガをしました。食べるものが少なく、おなかをすかせた人がおおぜいいて、空襲(くうしゅう)で家をなくした人もいました。
1945(昭和20)年8月に、戦争が終わって、みんな戦争はごめんだ、もう戦争なんかしたくないと思いました。
その後、日本が直接(ちょくせつ)、戦争に参加することはなかったけれど、世界から戦争がなくなったわけではありません。
いま、戦争のなかにいる子どもたちも、きっと戦争はいやだ、戦争なんか早く終わってほしいと願っていると思います。
戦争のころ、滋賀県でもいろいろなできごとがあった。
60年以上も前の戦争のことだから、そのことを知っている人はだんだん少なくなってきている。
だから、みんなにも協力してほしい。
戦争のころ、みんなの小学校で起こったこととか、みんなのくらす地域で起こったことなどをしらべてほしいんだ。
戦争を体験した人の気持ちを聞いたり、戦争のことをしらべたりしたら、きっとみんな戦争なんか大キライだという気持ちになると思う。
そして、そうした記録を残しておけば、みんなが大人になって、戦争のころのことを知っている人がいなくなっても、戦争が大キライだという気持ちはずっと伝わっていくと思うよ
滋賀県と空襲
それまでは琵琶湖(びわこ)の上空をB29が通過(つうか)していくだけということが多かった滋賀県でも、昭和20年春ごろから空襲(くうしゅう)や機銃掃射(きじゅうそうしゃ)による攻撃(こうげき)を受けることがふえてきました。
このお話は、昭和20年夏、現在(げんざい)の東近江市石谷町(ひがしおうみし・いしだにちょう)で
実際(じっさい)に起こった話をもとに作成したものです。
プラットホームは知っている
伊香郡余呉町(いかぐんよごちょう)の役場前に中之郷駅のプラットフォームが今も残されています。今は廃駅(はいえき)となっているこのプラットフォームから、戦争中大勢(おおぜい)の人が出征(しゅっせい)していきました。無事に帰還(きかん)できた人、帰ることができなかった人など、さまざまなドラマがそこにはみられました。
このお話は、伊香郡余呉町のある男性の出征にまつわるお話をもとに作成したものです。
さよなら兄さん
戦場へ出発する直前に一時帰宅(いちじきたく)してきた兄さんが、「ぼくのお嫁(よめ)さんは決めないで」という両親へのメッセージを妹に託(たく)して、再び(ふたたび)出発しました。兄さんの部隊が向かった先は南方戦線のフィリピンでした。
このお話は、甲賀郡佐山村(こうかぐんさやまむら)(現在の甲賀市甲賀町)での出来事をもとに作成したものです。












