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遺跡名: 熊野本遺跡(くまのもといせき)
所在地: 高島市新旭町熊野本


台状墓から出土したガラス玉

遺跡の概要
 熊野本遺跡は、弥生時代中期(約2100年前)〜後期(約1900年前)の高地性集落(こうちせいしゅうらく)です。これまでに直径12mの大型の竪穴建物(たてあなたてもの)を含む竪穴建物が約40棟見つかっています。また、鉄製品や鉄素材(てつそざい)が多数出土していることから、鉄製品を加工・製作していた可能性が指摘されています。遺跡の南西からは、東西12m・南北15mの弥生時代後期末の墳丘墓(ふんきゅうぼ)が見つかり、木棺跡(もっかんあと)からは水銀朱(すいぎんしゅ)とガラス小玉741点が出土しました。墳丘裾からは人頭大の貼石(はりいし)と朱を造る際に使うL字状石杵(えるじじょういしぎね)が出土しています。
熊野本遺跡が広がる台地状の丘陵部と、谷で隔(へだ)たれた北側には、円墳(えんぷん)22基・方墳(ほうふん)12基・前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)1基・前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)1基で構成される、湖西地域で最も規模の大きな古墳群である、熊野本古墳群が所在しています。

遺跡の特徴

 熊野本遺跡から多量に見つかった鉄製品や鉄素材は、実態の良くわかっていない弥生時代の鉄生産の様子を知る手がかりとして、注目されています。熊野本遺跡は、日本海沿岸地域と近畿・東海を結ぶ位置にあり、遺跡の時代は、日本列島内に鉄器文化が急速に普及する時期と重なることから、熊野本遺跡は、交通路や鉄の掌握を通じて大きな勢力を持った、湖西地域の拠点集落(きょてんしゅうらく)であったと考えられます。 
  集落の廃絶後に、集落跡に墳丘墓が築造され、さらにこれに継続して古墳時代前期〜中期にかけて首長墓(しゅちょうぼ)群(熊野本古墳群)が営まれます。この中には発生期の前方後方墳である熊野本6号墳も含まれており、引き続き、この丘陵を含む地域が、重視されていたことがわかります。



朱を造る時に使うL字状石杵

 

台状墓全景

大型の竪穴建物
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集落 官衙 生産 城館
信仰 交通 墳墓 その他
■もっと深く知りたい
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   蒲生郡安土町下豊浦6678
 ・0748-46-2424
■参考文献
熊野本古墳群I・II/2003・2004
新旭町教育委員会
古代近江の遺跡/1998
サンライズ出版
2250 地図
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■熊野本遺跡へのアクセス
JR湖西線新旭駅下車、徒歩。
■現況
山林 別荘

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滋賀県文化財学習シート 遺跡編滋賀県教育委員会事務局文化財保護課